2024年3月6日開催のウェビナー「〜イノベーションが連続して起こる先の未来〜 2030年以降の美容業界」の第一部では、株式会社資生堂 代表取締役会長CEO(当時)魚谷雅彦氏と、株式会社アイスタイル 代表取締役会長CEO 吉松徹郎が登壇し「これからの美容業界」を大テーマとして率直な語りを交えたディスカッションを行いました。
資生堂は「世界で勝てる日本発のグローバルビューティーカンパニーとなることを目指す」と表明する魚谷氏は、ウェビナー冒頭で、2014年、資生堂の社長に就任した当時を振り返り、自身の使命は「資生堂を次の100年につなげる基礎をつくることと、グローバル化の推進にある」と考えたと話します。
「10年前の就任当初から(資生堂で)いろいろやれることがあると感じていたのか」という吉松の質問に対し、魚谷氏はアドバイザーのような形でマーケティング統括顧問をしていたときの印象的な出来事を紹介しました。
「当時、資生堂のマーケティング部門のスタッフに、あなたの仕事は何ですかと聞くと、みなさん口を揃えて、商品開発ですと答える。誰かひとりくらいブランド開発と言ってくれないかと思った。商品開発はもちろん重要な役割だが、バリューチェーンの一部でしかない。開発した商品の価値をどう伝えて、どう届けて、消費者の声をどう聞いて回していくか、その全体をみることで、お客様との絆の証しであるブランドの価値を高めていくことが必要だと強く感じた」(魚谷氏)
「それまでの資生堂は、商品開発とR&Dに誇りを持っており、ものづくりに力を入れてきた。次の段階としては、全体的にマネジメントする視点を取り入れ、ブランド価値を高めることが求められていた」として、良いものを作るとユーザーが喜び事業も発展するという考え方からステップアップし、よりスコープを広げ大局的な視点に立ち、企業ブランドそのものを打ち出し強化していくマーケティング重視の方向性を掲げたといいます。
そして、魚谷氏は、資生堂がマーケティングを経営の中核に据えたグローバルマーケティングカンパニーに変革するための取り組みとして、ブランド価値の最大化を狙いとし、商品開発から販売、売上・損益まで統合してブランドを管理するブランドマネージャー制を2014年10月に導入し、グローバルスタンダードなブランドマネジメントができるマーケターの育成に着手しました。
「グローバルにおいても、国・地域ごとの展開拠点としての地域本社を置きマーケターを配属した。なぜなら、文化や習慣が異なる土地にそのままモノ(商品)を持っていってもダメなわけで、戦略レベルは統一しつつも、現地を理解したうえでのマーケティングを推進する体制をとった。その際に、私がいうマーケティングとは、商品マーケティングではない。企業・ブランドをマーケティングすることだ。社員みんなが広義の意味でのマーケターになって欲しいと考えた」(魚谷氏)
パンデミックが美容業界に与えた影響は大きいものでした。なかでも、人と人との直接的な接点が激減し、同時にそれを補うものとしてデジタルが一気に人々の暮らしに入ってきました。しかし吉松はその変化を良いものと捉えます。
「コロナを経て、いい変化が起きてきた。(コロナをきっかけに)テクノロジーが一気に浸透し、テレワークの導入など働き方の幅も広がり、お客様が大きく変わったことで、企業側も今までのビジネスのやり方じゃないことを、みんなが考えなければいけなくなった。こうしたきっかけが生まれたことは良いことだと思う。美容業界全体でお客様との向き合い方が変化している」(吉松)
とくに顧客との関係性づくりの点で変化があると魚谷氏も同意します。ただし、パンデミックがなくてもDXの推進によるデジタルドリブンな発想への移行は遅かれ早かれあっただろうとして、パンデミックがもたらした最大の変化は、人々が健康の大切さを改めて意識した「ウェルビーイングへの気づき」ではないかと魚谷氏はいいます。
「コロナによって、精神的な面を含めてウェルビーイングに対する一般の方々の意識がとても高まった。今や、美は美だけで単独であるものではない。ヘルスケアや心の健康の領域とつながり合体してきている」と魚谷氏。美しさとは、見た目だけではなく、健やかな体や、心のあり方など、ウェルビーイングをキーワードにすべてが融合したなかから生まれてくると示唆します。
一方、吉松は「人々は自分らしく楽しく元気に生きるためにビューティの力を活用しようとしているのではないか」と分析。ビューティがもたらす喜びや自己肯定感には、人の暮らしや生き方に貢献する力があるとします。
魚谷氏はそれに賛同し、米国では今、日本でいう「生きがい」の概念と、その重要性が注目されており、英語では直訳で相当する単語がないため、”ikigai”という言葉がそのまま使われ始めていると話します。そして、生きがいを提供するビューティとは何かを考えた場合、「単に商品を作って売るだけでは人々の要望に応えられず、さらなる広がりが求められる」といいます。つまり、人の心や体に働きかけて人を幸せにし、生きていることの意味を感じさせることにビューティが寄与できるとの視点に立ったとき、美容企業のマーケティングも変化するはずで、ヘルスケアやメンタルケアなど近しい領域はもとより、さまざまな異業種とつながることで、美の範疇を拡張することが必要だというのです。
たとえば30年後、ビューティは、自動運転するEVの車内にいる人に何を提供できるのか、スマートミラーが今日のバイタルを測り必要な栄養素を算出して朝のスムージーを作るなど生活管理をしてくれる住空間で人の求めにどう応えるのか、いろいろな業界が毎日の暮らしを構成する要素としてつながっていくなか、美のあり方も変わっていくし、変わらなければ発展はないと魚谷氏はみています。
同時に、人間の脳と同レベルのAIが誕生する瞬間を意味するシンギュラリティ(技術的特異点)という言葉が話題になるように、AIをはじめとする技術の進歩の速度にはすさまじいものがあります。
「テクノロジーそのものが勝手にどんどん進んでいくということが起きるように思う。昔、NTTドコモが設立したときに、未来はどうなるかを予想したビデオを制作していた。そこで描かれていた、たとえば遠隔医療とか、脇道から飛び出した子供を察知して自動停止する車とか、今実現している技術がたくさん出ている。その意味で、未来はどうなるんだろうと考えること、さまざまなものに興味や好奇心を持って、あれとこれを組み合わせたらどうなるかと想像することは、1+1から5を生むような創造性につながるのではないか」(魚谷氏)
吉松はまた、@cosmeをはじめとする多くのデータが集積するプラットフォームを持つ情報ビジネス企業として「ビジネスにおいて、相手が求めている情報をきちんと伝えられているか。自分たちが伝えたいことを都合よく言ってはいないか」を常に自問自答しているといいます。
魚谷氏は、新卒で入社したライオン株式会社で、歯科クリニックに歯ブラシを置いてもらう営業を担当していた際、ライオンのR&Dによって虫歯ができる理由を解明した研究資料をビデオ化し、各クリニックの歯科医師に見せたところ、大変喜ばれ、向こうから声をかけてくれるようになり売上につながったというエピソードを披露。顧客が欲する情報、いわば「心のジグゾーパズルに当てはまるピース」を見つけ出す重要性を説きます。
また、情報へのアクセス能力に優れた現代の生活者は、化粧品成分など化粧品に関する知識レベルが総じて高い。ユーザーが本当に知りたいと思っていることや、化粧品を選ぶ裏側にあるものを見つけ出すのは容易ではない。まして、「〇〇らしさ」「〇〇ならでは」という言葉で、ユーザーを枠にはめることは押し付けでしかないと、吉松は話します。
「人生100年というが、(悠久の歴史を考えると)人の100年はあっという間だ」と話す魚谷氏は、その短い期間に「(資生堂という企業の)私たちの願いは、純粋に人を美しくしたいということだ」といいます。米国で現地の従業員一同を前にスピーチするにあたり、「CEOとして、年間目標や業績など数字を用意して行ったが、『そうじゃない。魚谷さん、私たちはあなたの哲学を聞きにきたんだ』と言われ、『私たちはビューティ業界にいるのではない。人を幸せにする仕事をしているのだ』と話して、拍手喝采を受けた」と魚谷氏は明かし、人々を本当に動かすのは、利益や損得ではなく、信念や理念であるのだと示します。
これからビューティ業界に入ってくる若い世代に向けたメッセージとして、魚谷氏は、入社式ではしばしば、「今日からあなたたちは社会人と呼ばれる。つまり、単に一企業の社員であるだけではなく、“社会”に就職したのだ」と新入社員に呼びかけるといいます。「社会における1つのプラットフォームである資生堂を舞台に、自身の価値をどう社会に貢献させていくかを考えてほしい」との想いを込めての言葉です。人々との関わり合いのなかで、こちらが伝えたいことと相手の求めていることをキャッチボールするマーケティングは人生そのものだと魚谷氏はいいます。そのために「とくに若い世代には、広いスコープを持って、さまざまなことに興味・関心を持ってと言いたい」(魚谷氏)
Text: そごうあやこ
画像提供: 株式会社資生堂